東日本大震災11年目の3月11日は1日外来で最後に霰粒腫の切開が2件でした。
霰粒腫は5歳の女の子と40代の女性でした。
5歳の子は今回、左上まぶたにできた霰粒腫の切開でしたが、これが4回目の切開で左右上下全ての切開を行うことになりました。霰粒腫は再発しやすいと言われていますが、確かに体質でできやすい人はいます。ですので、右にできて、今度は左にできてなんてこともよくありますが、しっかり切開したところはまたできることは少ないかと感じています。もちろん、切開したところにもまたできることはありますが、大きな深い霰粒腫では切開後の再発も時々あるので、それはおそらく完全に取り切れなかったのが原因になるのかなと感じています。ですので、あまり大きくなり過ぎない適切な時期に適切な治療を行うことが大切かと思っています。ちなみに、この子は毎回、ほとんど泣かずにでき、今日も全く泣かずに切開できました。
震災当日、僕は昭和大学藤が丘リハビリテーション病院の手術室にいましたが、顕微鏡がすごく揺れ手術を一旦中止したことと、その後、患者さんの回診で病室に行った時にテレビで仙台空港に津波が押し寄せているのを唖然として見ていた記憶が未だにあります。学生時代を東北地方で過ごした思い入れのある地(大学は山形でしたが、部活がヨット部で宮城の海で活動していました)の惨状にショックでしたが、実際に被災された方々は本当に大変だったと思います。
震災はいつ起こるか分からないので、どんなシチュエーションで起こっても被害を最小限に留められるように備えをしなければと思うのと、平和に穏やかに過ごせていることに感謝しつつ日々の診療を頑張らねばと思いました。
↑2019年に閖上であった医学部の大会で後輩の応援に行った時の写真。