先日、30年振りくらいに小学校の同級生から職場に連絡があり、小学校4年生の時の担任の大塚聡先生が亡くなったことを聞き、本日、お通夜に行ってきました。
お世話になった先生はたくさんですが、僕らにとって大塚先生は特別な先生でした。
僕らが通っていた田沼町立野上小学校は栃木県佐野市(旧田沼町)の山あいのすごく小さな小学校で、同級生は男子13人女子7人の20人でしたが、これが一番多い学年で、6年生の時は全校児童でちょうど100人でした。
そんな小学校で、大塚先生が赴任され初めて担任したクラスが僕らの4年生だったそうです。大塚先生は当時25歳で若くてかっこよくて、何より陸上が専門で、僕らに陸上競技、走ることの楽しさを教えてくれました。あの頃は、大塚先生とみんなと走ることがただただ楽しかったです。
小学校6年の時の郡の駅伝大会では、一番小さな学校にもかかわらず、優勝に導いてくれました。1区は1学年下の亀山剛俊くん(後に佐野日大高駅伝部で活躍)で1位とほぼ同時で襷を渡された2区の僕でトップに立ち、その後の区間で逆転されるも、最終7区の籾山博行くん(後に佐野日大高で3段飛びでインターハイ・国体出場)がゴール直前でトップを奪回してゴールするという劇的なレースを32年経った今でもよく覚えています。大塚先生はその後、佐野市内の中学校に赴任され、2名全中優勝者や後の箱根駅伝ランナーを育てたそうです。
僕は中学校で陸上は辞めてしまいましたが、同級生は大人になっても大塚先生と交流を持ち続け、今回、僕に連絡をくれたそうです。大塚先生が亡くなったことはとても悲しいことですが、先生の人生のお話を聞くと、きっと人生を走り切ったのかなと思いました。
お通夜では30年振りくらいに当時の同級生に再会し、その後、佐野ラーメンを食べながら(駆けつけてくれた安藤久雄くん、須藤猛くん、どうもありがとう!)、当時の話で、ソウルオリンピックの時には授業を中断してテレビを観せてくれたことや、タイムカプセルを学校に埋めたままのことなんかを話しながら大塚先生を追悼しました。ずっとみんなで集まれていなかったので、大塚先生がみんなを集めてくれたのかなと思います。悲しい出来事でしたが、最後まで大塚先生に感謝です。大塚先生、どうもありがとうございました。天国でもたくさん走ってください。