院長ブログ

5年ぶりの東ティモールへ

東ティモールは日本のほぼ真南(時差はありません)、インドネシアの東側に位置し、ティモール島の東半分を占める国で、四国ほどの広さ(約1.5万平方キロメートル)の国土に約130万人が暮らしています。

元々はポルトガルの植民地でしたが、第二次世界大戦後の1975年にポルトガルが撤退すると、まもなくインドネシアからの侵攻を受け、その後も支配統治が続きました。1998年にアジア通貨危機が起こり、インドネシアのスハルト政権が崩壊すると、1999年にインドネシアのハビビ新大統領が東ティモール人に独立を問う国民投票を行ったところ、有権者の98%が投票し80%が独立を支持、インドネシア軍が撤退することとなりましたが、その後も東ティモール人独立反対派の民兵による破壊と虐殺が続き、国土の荒廃(建物の約90%が消失)、約30万人の死者(当時の人口は100万人)という犠牲の中、国連の介入、統治を経て2002年より新たな国として、スタートしたアジアで一番新しい国とされています。

僕はこの東ティモールの眼科医療支援に2018年3月と2019年4月の2回行かせていただきましたが、その後、新型コロナの流行に伴い、渡航が叶わず、今回が5年ぶりの東ティモールとなりました。

そもそも、僕がなぜ、東ティモールへ行くようになったかというと、僕が2010年頃からお世話になっている戸塚の満尾医院の坂西京子先生が東ティモールへの支援を行っていたからです。そして、その坂西先生がなぜ東ティモールの支援を始めたかというと、坂西先生の高校の同級生の方(中村葉子さん)が、修道会のシスターとして独立紛争の頃東ティモールで活動され、シスター中村に感銘を受け、何か東ティモールのために力になれないかと思ったそうです。そして、2019年にNPO法人NAROMAN(東ティモールの言葉で“輝き”)を立ち上げ、現地に聖らふぁえる子どもの家という施設を作り、子どもたちのため母親たちへの栄養指導と眼科医療支援を行なってきました。

坂西先生から東ティモールのことを伺うまでは、恥ずかしながら、東ティモールという国名すら知りませんでした。僕がのほほんと大学生活を送っていた時期に、同じアジアで国の独立をかけて多くの死者を出しながら、ようやく本当の独立を勝ち取り、国として第一歩を歩み出した国があることももちろん全く知りませんでしたし、実際に東ティモールを訪れるまで、その独立というものがどんなに大きな苦難と犠牲の上に成り立っているかも分かっていませんでした。

最初に東ティモールを訪れた時は、日本の眼科医療で何か貢献したいという気持ちで現地に向かい、実際、診療を行うことで、現地の人たちに喜んでもらえることは感じました。しかし、僕が何かすること以上に、東ティモールの人たちから、その日に食べるものがあり、寝る場所があり、誰か大切な人がいてくれて、生きていることだけでもありがたいというような、幸せというものが何なのかということを教えてもらえる気がしました。物もお金もなくとも、みんな明るく元気な人たちばかりで、僕も含めた日本の人たちよりもずっと豊かな顔をしていると感じます。だから、また東ティモールに行きたいと思いました。そんな訳で、海外医療ボランティアなんて言っていますが、たまたま自分のできることが眼科医療なだけで、それが主でなく、せっかく行くのだから、ついでに、何か自分にできる眼科診療をという方が正確なのかもしれません。

日本から東ティモールへの直行便はなく、Bali Denpasar経由で、Baliで1泊し、翌日、DenpasarからDiliへ向かいました。Aero Diliという東ティモールの航空会社を使いましたが、時間も定時で安全でよかったです。ちなみにDenpasarではboarding gateを間違え、Delhi行きのgateで待っていて、搭乗口でチケットをかざした時に『違うよ!』と言われようやく気づき、危うくインドに向かいそうになりました、、、
(東ティモールのインド人に話したら、結構よくある間違いらしいです)

到着後は国立病院のアイセンターの見学とドクターとのディスカッションを行いました。東ティモールの眼科専門医はたったの4人で国の眼科医療を担っているそうです。以前はオーストラリアからの支援があったそうですが、今はなくなり、薬や機材の不足が深刻だそうです。そんな中、NAROMANから贈った手術顕微鏡がとても役に立っているという話を聞き、少しでも力になれたならよかったと思います。

明日からいよいよ診療開始で、今までは首都Diliだけでの診療でしたが、今回は、念願の地方に行ってきます。

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