院長ブログ

箱根のおみやげ

今日は午前は外来、午後は手術でした。
手術の申し込みは、白内障2人と眼瞼下垂2人で、今日の手術は、眼瞼下垂3人、眼瞼皮膚腫瘍切除1件、霰粒腫2人(4歳女の子、51歳女性)でした。

今日の外来ではいつも定期通院してくだっている患者さんが、お正月に箱根に行かれてお土産を持ってきてくださいました。

僕は野球も好きですが、一番長くやっていたスポーツとしては陸上で、やっぱり箱根駅伝も大好きです。僕は子どもの頃から脚が速くて、1学年200人ほどの小さな中学校でしたが、中学1年で全校生徒の中で長距離は1番速くなっていたのですが、中学1年の終わりに怪我をして(クラス対抗サッカー大会で、、、)、それから1年以上走ることができませんでした(この経験が後に医師を目指したきっかけの一つでもありました)。中学3年の春になってようやく怪我が治り、というか、もうどうなってもいいと思って走り出したら不思議と痛みが出ずに走れるようになりました。成長期の1年間全く運動ができなかった代償は大きく、走れるようにといっても、本当にゼロからの再出発で大変でしたが、それでも最後の駅伝の地区予選では2位に入り、県大会に出場することができました。その県大会で、ある選手にあっさり抜かされ、その選手が1年生だと知り(足利の山辺中の栗原くん)、もう陸上はお終いにしようと決心でき、高校からは陸上はやらずに勉強に励むことにしました。その時に抜かされた栗原くんはその後、栃木県の駅伝の名門佐野日大高から日体大に進み、箱根駅伝で活躍するような選手でした。なので、僕も諦めずに陸上を続けていたら、箱根駅伝にきっと出ていた、、、なんて甘いことはないかと思いますが、栗原くんが抜かしてくれたおかげで、勉強に専念しようと思え、医学部に進むことができ、今があるのだと思います。

あの怪我もあったから医者になりたいと思ったのですが、それは怪我をして通った病院の先生に憧れて、、、ということは全くなく、むしろ逆で、通っていた整形外科の先生に『僕は陸上部なので走れないと困るんです』と言った時に、『君がどんなスポーツをやっているかなんて関係ないんだよ』と言われたことがショックというか、そんなことはないでしょ、僕が吹奏楽部だったら走れなくても困らないけれど(というのも語弊があったかもしれませんが、当時はそう思いました)、陸上部員にとって走ることってどう考えたって大事だし、なんでそれが分かってもらえないんだろう、医者はそういうことが分からないといけないんじゃないのかと子どもながらに思い、その人にとって大事なことが分かる医者になりたいと思ったのがきっかけで医学部に進むことを考えるようになりました。でも医者になりたいと思ったもう一つ大きなことは、ちょうど怪我の時期に重なるのですが、一緒に住んでいた祖父が癌でなくなったことで、その時、なんでこんなにずっと一緒にいるのに、病気に気づいてあげられなかったんだろうとすごく責任を感じたのを今でもよく覚えています。病気なんてそんな簡単に周りが気づくものでもないのですが、それでも本気でそう思いました。今思うと、本当に変な子どもだったと思います。そういう気持ちで医者になったので、世界中の人を救いたいとか、革新的な治療をみつけて有名になりたいとか、そんな立派な高尚な考えは全くなく、ただただ自分の近くの人が病気になった時に助けたい、困らないようにしたいという小さな気持ちで医者になりました。ということで、今は目の前の患者さん、僕のことを頼って来てくださる方、一人一人を近い人だと思ってできる限りの医療をしていきたいと思ってやっています。

箱根駅伝から、だいぶ脱線して、僕が医者になろうと思った昔話になりましたが、今年も箱根を走った選手の皆さん、どうもありがとうございましたm(_ _)m

そして、箱根のお土産もどうもありがとうございました!(息子さんがアメリカ出張でドジャースのボールも買ってきてくださいました!)
僕やスタッフのことも応援してくださっていると思って、頑張ります!

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